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永遠を手首の上に
配送について

クルト・クラウスは、IWCで時計技師のリーダーを務めていた頃、様々な変則性を含むグレゴリオ暦を解釈し、外部からの修正をほとんど必要とせずに2499年まで完璧に作動する、機械的なプログラムを開発しました。1985年、この機構が「ダ・ヴィンチ・クロノグラフ・パーペチュアル・カレンダー」に初搭載されました。彼が手がけたその伝説的な設計は、現在においてもなお、時計製造の歴史に輝く偉業として称えられています。合計部品数がわずか81個という驚くほどシンプルなこのカレンダーが、シャフハウゼンで生まれた時計マニュファクチュールを高級時計業界の頂点へと押し上げたのです。
「誰でも、不可能だとわかっていながら挑戦しなければならない時があるものです」と、いたずらっぽい微笑みを浮かべるのは、・クラウスです。それこそまさに、眼鏡の奥にいきいきと輝く瞳を持つ、この強靭な精神の持ち主が挑んだことでした。1981年頃、彼はIWCで時計技師のリーダーを務めながら、日付、曜日、4桁の西暦、ムーンフェイズを2499年まで文字盤上に表示できる機械式カレンダーを開発しました。1981年頃、彼はIWCで時計技師のリーダーを務めながら、日付、曜日、4桁の西暦、ムーンフェイズを2499年まで文字盤上に表示できる機械式カレンダーを開発しました。現在、永久カレンダーは、ミニッツ・リピーターおよびトゥールビヨンと並ぶ至高の複雑機構とされています。まさに、シャフハウゼンの高級時計マニュファクチュールIWCによる、史上最高傑作のひとつであると言えます。
ユリウス・カエサルが制定したユリウス歴に基づくグレゴリオ暦には多くの変則性があり、幼い子供たちの頭を悩ませています。各月の日数を知る有名な方法のひとつに、握りこぶしを作って骨の凹凸を数えるというやり方があります。しかし、28日、30日、または31日という日数の違いを理解するだけでは不十分です。さらに、実際の太陽の運行と暦の誤差を補正するため4年ごとに巡ってくる「閏日」、すなわち2月29日のことも忘れてはなりません。時計技師や発明家たちは何世代にもわたって知恵を絞り、歯車、レバー、スイッチカム、バネ、ピンで構成され、毎年同じ動作を繰り返す機械式カレンダーの開発に取り組んできました。
そのような初期のカレンダー機構は、巨大な天文時計の内部に組み込まれていました。1920年代からは懐中時計の一般的な機能となり、やがて腕時計に搭載されるようになりましたが、その構造は極めて複雑で、使い方も実に難解なものでした。例えば、懐中時計の永久カレンダーは200個以上の部品で構成され、複数のプッシュボタンを使ってそれぞれの表示を個別に設定しなければなりませんでした。クラウスは当時を振り返り「こうした不便さにいつも困っていました」と言います。
IWCの歴史が大きく動き、新たな章が始まったのは、1970年代後半のことでした。当時、スイスの時計産業はかつてない苦境を迎え、存続の危機に直面していました。規則正しく振動するテンプの代わりに、水晶振動子を用いて速度を調節する電子時計が日本で大量に生産され、世界市場を席巻しつつあったのです。時計技師や計時技術者が世代を超えて積み重ねてきた専門知識が、突如として不要になりました。何世紀にもわたり細部まで磨き上げられた複雑で精密なメカニズムの数々が、日を追うごとにひとつ、またひとつと消えていくのではないかと思われました。
— 日付に始まり、月、年、そしてムーンフェイズというすべての表示が、基本ムーブメントによって作動し、毎晩同時に先に進む。
しかし、同業者の多くが一様にこの困難な状況を嘆いてばかりいた時、クラウスは逆に仕事に没頭しました。そして、1970年代の半ばに大型のオープンフェイス式ポケットウォッチ用の初のカレンダーを完成させました。この時計は、およそ100個の売上げがありました。「ライバルを引き離すには、IWCならではの独創的なタイムピースを売り出すしかないと、私は確信していました」と、クラウスは当時を振り返ります。その成功をきっかけに、彼は主に余暇を活用して独自のメカニズムの研究に打ち込み、ムーンフェイズ用の表示や占星術の十二宮を示すシンボル、さらには珍しい温度計付き腕時計までも発明しました。そして遂に、ギュンター・ブルムラインとハネス・パントリが率いる重役陣を説得し、腕時計用の永久カレンダーの開発を進める許可を取得したのです。
当時、カレンダーは一部の特殊なムーブメントに組み込まれるものでしたが、クラウスはそれとは別の基本的なムーブメントに搭載できる、独立したモジュールを設計したいと考えていました。そして、そのモジュールで、シンプルさと使いやすさの点で新たな基準を確立することも目指していました。IWCの創立者であるフロレンタイン・アリオスト・ジョーンズの哲学に則り、完璧主義者のクラウスは、すでに工業生産の可能性も考慮していたのです。そのため、彼は比較的シンプルな形状を採用し、部品数をできるだけ少なく抑えることにしました。
基本的な発想は、通常のムーブメントに組み込まれていた日付表示機構を動力源として使用するというものでした。夜間、単独の切り替え信号によって歯車列全体が起動し、日付、曜日、ムーンフェイズ表示を進めるという仕組みです。1か月後には月表示が同様に先に進み、それに続いて10年後には10年表示、そして100年後には世紀表示が切り替わります。すべてが規則正しく作動し、一糸乱れず同期しなければなりません。
こうして、理論は整いました。しかし、実際の設計となると、予想よりもずっと複雑であることがわかりました。クラウスは長い散歩に出かけ、心の中で基本構造を思い描きました。製図板の上では、部品の形状と配置が何度も何度も描き直されました。彼は当時を思い出しながら「私はこの機構全体を三角形の構成にし、あらゆる配置を試して、数えきれないほど計算を繰り返しました」と話します。この設計段階は、大変な集中力を要しながら、全力を傾けつつも、思うように作業が進まないず、とても歯がゆい期間でした。しかし、幾度もの挫折を乗り越えて、彼はついに、実際に作動する3つの試作品を完成させたのです。あと少し遅ければ、1985年のバーゼル時計見本市での「ダ・ヴィンチ・クロノグラフ・パーペチュアル・カレンダー」のデビューに間に合わないところでした。
こうして完成した、わずか81個の部品からなる機構は、驚くほど効率的に機能します。毎晩、基本ムーブメントが日付変更レバーを動かします。その際、31個の歯を持つ日付歯車が1日分進むのと同時に、別のレバーが星型の曜日歯車を動かし、ムーンフェイズ表示を前進させます。日付歯車の歯は、ひとつだけ他より長くなっています。毎月の終わりになると、その歯が自動的に月カムを1つ分前に進めます。
— 機械的なプログラムの心臓部にあたる月カムが、31日未満の月に必要となるもうひとつの歯車止めの作動を制御する。
— IWCの運命を好転させるきっかけとなった、クルト・クラウスが設計したこの機構。
また、この月カムは、機械式カレンダープログラムにおいて中心的な役割を担っています。歯車の縁を取り巻くように深さの異なる切り込みが入っており、各月の日数の違いを伝えます。いわば、初期のコンピュータテクノロジーで用いられていたパンチカードと同じ仕組みです。課題のひとつであった閏年に対応するため、48か月で構成される、4年を1サイクルとするカムが導入されました。最も深い切り込みが2月28日に相当します。
日数が少ない月には、別のメカニズムが作動します。日付変更レバーにはもうひとつの歯車止めが付いており、日付歯車に直接連結している偏心カムに接しています。日数が31日未満の月末になるとその追加の歯車止めが偏心カムから外れ、日付歯車の突起に噛み合います。自身の設計に不可欠なこの要素について、クラウスは「夜中に行なわれる一連の切り替え工程において、通常の歯車止めが作動して日付歯車を1日分進める前に、その月に存在しない日付をまとめて先送りするのです」と説明します。
この追加のメカニズムは、月カムによって間接的に制御されます。31日未満の月には、日付変更レバーに連結しているフィーラーアームが切り込みに差し込まれます。切り込みが深いほど、日付変更レバーの作動幅が大きくなります。月末に作動幅が大きくなると、追加の歯車止めが通常よりもわずかに長く後退し、偏心カムから外れる仕組みです。「月カムに刻まれた切り込みの深さの違いがレバーの作動幅を変え、歯車止めの作動とタイミングを制御します」と、クラウスは言います。
過去にいくつかのカレンダー機構が発明されてはいましたが、クラウスのアイデアはさらに先を行くものでした。彼は文字盤上の月表示を司る月歯車を起点とし、ここから年歯車、10年歯車、センチュリースライドへと次々に作動が連鎖していく構造を考案しました。センチュリースライドは100年ごとにわずか1.2mmしか動きません。同じ期間で比較すると、テンプの縁のある一点は、理論上では地球40周分に匹敵する距離を動きます。
クルト・クラウスは、いくつかの点で革命的な解決策を思い付きました。最も重要かつ斬新な特長は、日付に始まり、曜日、月、ムーンフェイズのすべてが完璧に同期するという点です。時計を数日着用せずにいて作動が止まった場合でも、日付を1日ずつ先送りするだけで、すべての表示を再設定できるのです。西暦を4桁で表示するという方式も、これまでの永久カレンダーにはありませんでした。もうひとつの新機能は、極めて正確なムーンフェイズ表示です。精度の高い伝達機構により、調整が必要となるのは122年でたったの1日です。
— ダ・ヴィンチ・パーペチュアル・カレンダー・クロノグラフ
この機械式プログラムは、2100年まで修正や調整が一切不要です。
「ダ・ヴィンチ・クロノグラフ・パーペチュアル・カレンダー」は大きな人気を博し、IWCの運命を見事に好転させました。それからわずか数年以内に、シャフハウゼンに拠点を置くIWCは、初の「グランド・コンプリケーション」を発表します。このモデルは、IWCが高級時計製造の頂点に到達したことを示す証となりました。現在の「ポルトギーゼ」と「パイロット・ウォッチ」コレクションに使用されている永久カレンダーの基本的な理論は、1985年から実質的にほとんど変化していません。100個に満たない部品で構成されるこの機構が傑出した名品と呼ばれるのは、使用者の利便性を徹底的に追及し、実現しているからです。本来は閏年となるべきサイクルでありながら、例外となっている2100年にのみ、手動で1日分の先送りが必要となります。これも、グレゴリオ暦の変則性のひとつです。
永久カレンダーの誕生以来、IWCは継続的に研究を続け、少しずつ修正を加えています。シャフハウゼンのデザインエンジニアは、日付と月をデジタル式で表示するバージョンを開発しました。この機構は、「ダ・ヴィンチ」、「ポルトギーゼ」、「インヂュニア」、「アクアタイマー」の各コレクションにも搭載されています。さらなる発展形として、ダブルムーンフェイズ表示付きのモデルも登場しました。これには、南半球から見た月の形状も合わせて表示されます。こうした革新はすべて、とある人物の強い信念、発明の才、そして粘り強さなくしては実現し得なかったでしょう。その人物こそ、不可能に挑戦した男、クルト・クラウスです。